温泉マークの由来

地図などで良く目にする温泉マーク。いつ頃から使われ、誰が考案したのかといった質問を度々受けます。
そこで調べた結果、この温泉マークの誕生にはいくつかの説があり、はっきりとしたことはわからなかったのですが中でも目を引いたものを何点かピックアップしてみました。何気なく見ていた記号ですがいろんなエピソードがあるものですね。


 温泉記号発祥の地

群馬県にある磯部温泉は日本最古の温泉記号を使用した『温泉記号発祥の地』として磯部公園内にある赤城神社に記念碑が祀られている。
万治四年(1661年)、付近農民の土地争いを収めるため江戸幕府から出された『上野国碓氷群上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚』の添付図に温泉マークが2つ記されていたそうだ。これが日本の最古の温泉マークとされている。


 起源はドイツ

温泉マークの元祖はドイツだという説もある。考案者は不明だが19世紀にできた地図に載ったのがはじまりだという。
参謀本部陸軍部測量局(後の陸地測量局)が明治十二年に仮製図した地図に載ったのがはじめてで明治十八年に正式に採用されたとする説。測量を学んだドイツからそのまま持ち帰ったという。


 別府観光の偉人 油屋熊八

愛媛県出身の油屋熊八が別府を訪れたのは明治四十四年(1911年)のことである。日本を代表する一大温泉観光都市である別府も彼の功績抜きにして今日の発展は無かったのではないだろうか。とにかく生来の行動力とアイディアで様々な宣伝活動を行った。自らも『亀の井旅館(現亀の井ホテル)』を経営していたのだが、別府が潤えば自分の旅館も潤うと言って商売そっちのけで別府の発展に力を注いだ。当時の別府といえば港に桟橋が無く交通の便もあまり良くないため自ら大阪商船の本社へ直談判に出向き桟橋建設の約束をとりつけたほどだ。
彼はアイディアに富んでいて日本で初めてのバスガイドを考案したり、文筆家や報道陣を自らの足で赴き別府に招待し別府の宣伝に貢献したという、しかしこれらの経費が実費と言うからおそれいる。
子供の頃から働き者で実家の米問屋の手伝いで手がとても大きくなったという彼が昭和六年(1931年)創業20周年のイベントで『全国大掌大会』を企画し、全国から百数十人の手形を集めた。この中の上位20人を亀の井ホテルに招待し大会を開催。見物客も大勢訪れ大会は大盛況だった。そのとき募集した手形の中に完全に写っていなかった物があり、温泉から湯気が立ち上ってる姿に見えたという。
これをヒントに温泉マークを発案し別府観光のPRに利用した。はっぴや名刺にこのマークを用いたため温泉マークは一躍有名になったという。


以上が温泉マークの由来を調べて出た結果です。外国などでも使用されているマークですのでドイツが起源と言われる説が正しいと納得してしまいそうですが、年代別に見ると磯部温泉が一番古いのです。別府の油屋熊八は経験豊富で国際的な人だったので、どこかで見かけていたのを思い出したのかもしれませんし・・・。ただ全国的に認知されたのが彼の功績によることが大きいのは確かなので発祥の地を名乗っても良いのでは。そうするとやっぱり・・・。う〜ん、やっぱり皆さんの判断にお任せします。
ところで、この温泉マークなのですが時代の流れと共に少しずつ形も変化しているのをご存じでしょうか?真ん中の湯気の形が若干違っているんです。噴水状の物や、両端2本だけ外側に開いた物、三本がくの字に曲がった物、そしてゆらりと曲がったおなじみのやつ。現在は三本が直線で真ん中1本が長いのが正しいらしく、これはお風呂の入り方を示しているそうです。温泉に着いたらはじめはサッと、寝る前にゆっくり浸かり、朝は目覚めに。だそうです。
温泉マーク。そこまで深い物だったのかと改めて感心しています。